ひたむきに生きる女子高校生たちの姿を描く、ドキュメンタリー映画「うたごころ」 印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 |

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E・Eプロジェクト、NPO法人ハートオブミラクル代表 岩崎靖子さん

「これほど人の“ぬくもり”を、“希望”を、“生きる躍動”を感じる作品はありません。まるで出演者たちの隣りにいて、一緒に時間を過ごしたような、ともに生きているようなそんな感覚になります、そして爽やかな風が心を吹き、目の前の世界の輝きが見えてくる、そんな体験をしました」

京都府 クワイヤー合唱グループ「human note」メンバー ひろちゃん

「改めてウタの力を感じました 心を癒し また勇気を与えるのもウタの力なんだと思いました 続編も楽しみにしています」


《今後、続々、更新します。》

映画「うたごころ」を鑑賞して 2012年3月28日

地元高校に通う女子高生の視点で東日本大震災後の南三陸町の風景や心模様を描くドキュメンタリー映画『うたごころ(監督:榛葉健氏)』。
この映画鑑賞後、幾度となく頭の中で物語を反芻した。時には主人公の言葉を暗唱したり、時には心震えたシーンで立ち止まったりして。
ドキュメンタリー映画は鑑賞する者、一人ひとりの歩んできた人生や抱えている日常の問題によって心に残る場面が異なる。それは自らの感性や想像力を駆使して、心の奥底にある『無地のノート』に感じた
ことを綴る行為。一方、周到に準備された音楽やナレーションにより、視聴者全ての気持ちをあらかじめ決められた場所へ置くことを強いる『罫線付ノート』のような娯楽映画や報道番組は、手軽に感動や美談を味わえる代償として、視聴者のsenceやimaginationを奪ってゆく。しかも、本人さえ気付かないうちに・・・。
映画の中で、あれほどの形容し難い震災の爪痕を見てしまうと実際に東北へと足を運び、被災地の現状や地元の方々の声に直接触れておられる榛葉監督や合唱グループ『human note』を率いるボーカリストの寺尾仁志さんたちは、もっとストレートな表現や言葉で思いを伝えたい衝動に駆られることもあるのでは?と思ってしまうが、榛葉監督はただそこにある現実や空気感を伝えることに努め、寺尾さんは歌声にその思いを乗せることで何かを届けようとしていると感じた。それは、見る側の感性や想像力に一縷の希望を託しているかのようでもあった。
鑑賞後、二日が経過した今でも、心には溢れんばかりの様々な想いがあるけれど、榛葉監督や寺尾さんが託した希望を無視し、他人の心にある『無地のノート』に私が罫線を引いてはけないのだと思う。
最後に・・・
ニュース映像や新聞記事から視覚的に伝わる情報を受信するだけなく、その場所で起きたことや思いがけない境遇に立たされた人たちのことを慮ったり、一人ひとりの心には多くの嘆き・憤り・悲しみを抱えているにもかかわらず、気丈な言葉と振る舞いで仲間を支える女子高生たちの歌声に耳を傾けることのできる人々が増えることを願う。

兵庫県・県立高校教諭・辻真吾さん

被災者とのつながりを全く持ってこなかった私にとって、今回の震災はいつしかグローバルな問題になっていました。日本という一国のスケールの中にしか自分を置いてこれなかったようです。 

大地震で日本経済はどうなるのか。原発事故で日本の電力供給はどうなるのか。そんな報道ばかりが気になってしまい、

被災者との距離が徐々に広がっていたように感じます。被災者に何かできることがあればと考えているうちに、時間だけが過ぎていき、結局何もしませんでした。

同じ被災者として情けないですが事実です。16年前に被災したわたしたちも、 こんなふうに人々の気持ちから少しずつ消えていったのでしょう。


『うたごころ』には、テレビで何度も繰り返し見た津波や原発の恐ろしい映像もなく、スクリーンにあったのは淡々と思いを語る女子高生の姿でした。その語りの中には「悲劇」ではなく「希望」の言葉がたくさん出てきました。多くの試練を乗り越えてきたからこその重みある言葉に感じました。

地震からまだ2か月なのに、将来の夢に向かって全力で勉強しているけな気な姿に、ほろっと涙が出ました。  

高校教師の端くれとして、この子たちの姿を決して忘れてはならないと思いました。  


『うたごころ』を鑑賞できたこと、榛葉さんのお話を聞けたことで、「被災地」から「被災者」へと、わたしの思考の枠組みが変わってきたような気がします。





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